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英語力0が英語圏で暮らしてみて思ったあれこれ

サンフランシスコで暮らし始めました(期間限定)

ご縁や機会に恵まれ、現在期限付きでサンフランシスコ近辺で暮らしています。
と言うと、「もともと英語が得意な人」と思われることが多いのですが、残念ながらまっっっっっったく違います。そうだったらいいのに!私はもともと、教科としての英語がものすごく苦手でした。
私自身も忘れていたのですが、高校時代の友人曰く、

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という体たらくだったようです。我ながらやばい。 そんな自分なりに、というかそんなレベルだったからこそ、英語圏で暮らし始めて思うことが色々あったので、まとめておきたいと思います。

英語へのイメージ

こんな私も、小学生の時は近所のおばあちゃん(アメリカ在住歴が長い)に英語を教わったり、お風呂で100まで数える時になぜか英語縛りだったり、人並み、ないし平均よりちょっと上の英語力を持っていました。そして中学生になり、最初の英語の授業の簡単さにびっくり。今思えばこれが本当に良くなかった。私が調子をぶっこいている間に、覚えなきゃいけない単語のスペルはどんどん難しくなり、文法も have been とか had been とか言い出しはじめ、完全に私を置き去りにしていきました。また、私はもともと芝居がかったオタク体質なので「英語力っぽい発音を真似る」のが好きだったのですが、中学の英語の授業では、「英語をそれっぽく発音するとカッコ悪い。ダサい」という暗黙のルールのようなものがあり、クラスの二軍所属でこれ以上は絶対にポジションを落とせなかった私は、なるべく「カタカナ発音」をするよう気をつけていました。 こういった要素が絡み合い、私の英語へのイメージは、どんどん悪い方へ…

その後、たまたま英語が得意な生徒が多い高校に進学し、満を辞して英語に対するモチベーションが回復するかと思いきや、既に全く授業についていけなくなっていたこともあり、「みんな得意だし、私はもう頑張んなくていいや」という謎の境地に到達。
そのままフワフワと大学に進学した私は、20歳で人生初の海外旅行に行きます。(ちなみにラスベガス3泊5日3万円弱という驚異の格安ツアー)生まれて初めての入国審査で「sightseeing という単語が出てこない」「fingerが聞き取れない」などのプチトラブル(すべて自分のせい)に見舞われるものの、優秀な友人たちに囲まれていたおかげで、特に不便は感じずに無事終了。いよいよ「自分の人生には多分英語は必要ないな」と確信を深めました。

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状況が一変したのはその1年後。研究室の先輩のサポートとしてロサンゼルスで行われる学会についていくことになり「なんか楽しそう」くらいの心づもりで現地に到着すると、自分の役割が「デモンストレーションを見にきたお客さんに研究内容を説明すること」であることが発覚。(ちなみに研究室の先生や先輩は事前にこのことを説明してくれていたけど聞いてなかった)突如英語を喋らなければいけない状況に置かれた私は当然四苦八苦。見よう見まねでトライするものの「通じない」「聞き取れない」で大撃沈。周囲に多大なご迷惑をかけながら、「もしかして英語って出来なきゃヤバい?」と、はじめて己の真のヤバさに気がつくことができました。 その一件を皮切りに、身の回りにじわじわと英語が必要なシチュエーションは増えはじめ、「なんで中高生の時にもっと真剣に勉強しなかったんだ…」と後悔しつつ、「せめて人並みを目指して、真面目に勉強をするようになりました。

進捗状況(滞在3ヶ月半)

そんな人間が3ヶ月半滞在してみた結果、現状はこんな感じです。

スピーキング

ボキャブラリーが貧困で、テンポも悪い。特に雑談(スモールトーク)がやばい。日本語でも大した会話力(雑談力)はないが、その比にならないくらい「もうひとこと」が出てこないのが目下の悩みです。返答のバリエーションが、エクセルのイルカとか、しゃべる自販機レベル。
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また、聞き返されることにあまりに慣れてしまって、逆に一発で行ったことが通じると、びっくりして会話の間が空くというバカみたいな現象も多発しています。日本語のときは「どうでもいい話」をたくさんしてて、それが会話と会話をくっつけるグルーのような役割を果たしていたんだな、と実感します。あとお酒の力は日本語の時以上に効果的かも。 発音については、その他の事柄に比べるとだいぶマシな様子。(人生ではじめてオタク気質に助けられている)ただ「短い挨拶や決まり文句だけ綺麗に言えて、その後の文章の組み立てはぐっちゃぐちゃなのですごくびっくりする」と言われたり、発音に多少癖があろうが全く問題なく流暢に喋れる人たちがたくさんいるので、発音だけを褒められると逆に謎の恥ずかしさに襲われます(被害妄想)。RとL、thの発音はコミュニケーションに支障をきたすほど無理。

リスニング

本当にダメな生徒だったので、「こんな単語習ってないよ〜」と思う単語の9割が「大学受験までに知っとけ!」レベル。ただ、bunch of 〜 とか「習っちゃいるけど…」な言い回しが超頻出だったりしてびっくりしました。また、会話中にイディオムが結構容赦なく飛び出すので「今言われたこと、全部聞き取れたけどまったく意味がわからない」という事態も稀に発生します。

こちらに来てから聞いたお気に入りのイディオム
  1. Too many cook in the kitchen (船頭多くして船山に登る)
  2. Jump the gun (早まった行動をする, フライングする)
  3. Go banana (頭がおかしくなる!)

最近、よく話す人の言うことは結構わかるようになってきた…気がする…のですが、多分これは、英語が聞き取れる耳になってきた!というよりも「その人の人となりがなんとなく掴めたので、言いそうなことを少し先回りして予測できるようになった」という方が近い。不思議なことに、その予測が少し出来ていると、安心して聞き取りができるのか内容自体も頭に入って来やすいし、それ故に、よく話す人との会話でも話題が突然変わったり、話が脱線すると、単純な単語や文章もさっぱり聞き取れなかったりしています。F.R.I.E.N.D.Sなどの海外ドラマが英語学習にオススメされるのは、「同じ役者さんが同じキャラクターを何話も演じ続けてくれるから = そのキャラクターに慣れられるから」なのかもしれないな〜と。

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あと、うるさい場所はとにかく大変で、カクテルパーティ効果は基本ゼロ。なのに、ちょっとでも日本語が聞こえてくると耳がそっちにもってかれてしまう。 f:id:t0rakeina:20170611173235j:plain
「耳が日本語に飢えてるんじゃない?」と言われました

全体的にうるさくて、かつ日本語を話す人がチラホラいる観光地が、現在の私の英語の聞き取りには一番向かない場所で、逆に心穏やかに聞き取りできるのは、UberLyftなどの静かな車内、他のお客さんと距離が取れる屋外テラス、公園など。

今は、英語圏に行って暮らすだけでは英語を喋れるようにはならないんだなあ」という、至極当然の事実を痛感しています。中高生の時「私にも留学するチャンスさえあれば、すぐ英語なんか喋れるようになる!」と思っていた自分をぶっ飛ばしてやりたい…

気づいたこと

こんな感じで、もがきながら英語で人とコミュニケーションを取っていくうちに、いくつか気がつくことがありました。

自分のパーソナルスペースが狭くなってる

握手やハグなどの文化の違いもあるのかもしれませんが、どんどん会話の相手に近づいていってしまっていることに気がつきました。もともと「自分のパーソナルスペースは狭い方」という自覚はあったのですが、日本にいた時以上に人に接近している気がします。しかも私は右耳が聞き耳なので、相手が言っていることが聞こえない/聞き取れない時はどうやら右からぐいーっと接近しているっぽい。

会話に割って入るのが至難の技

1対1のコミュニケーションに比べて、人数が増えると段違いに会話が難しくなります。2対1でも十分難しく、特に「会話をしている人たちに話しかける」のは本当に難しい。いつも変なタイミングで割行ってしまい、相手を驚かせている気がします。最たるものは「盛り上がってるミーティング」で、口は「Can I say something?」などと言う準備が出来ているのに、そのタイミングがつかめません。またスモールトーク終わりの去り際も同じくらい難しく感じます。

「当たり前」と思われることばかりかもしれませんが、私はこれらに気がついた時結構びっくりしました。というのも、サンフランシスコに来る直前まで、たまたま仕事上の理由で「自閉症スペクトラム症」について少し勉強しており、上記に挙げた「私が英語でコミュニケーションをする際に感じている難しさ」が、色々な方から教えて頂いた「自閉症スペクトラム症の方がコミュニケーションする際に感じる難しさ」と似ている部分があるかもということに気づいたのです。

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あくまで体感的なものなので何の根拠も無く、また「もしかしたら誰かに対して失礼なことを書いているかもしれない」という不安もあるのですが、もしも第二言語を自覚的に習得する最中の、この中途半端な状態の際に感じられる感覚が、一種のディスエイブル体験に近いものだったら?と思うと、ものすごく興味が湧きました。
私の世代では、中学や高校の体育/保険の授業で、いわゆる「お年寄り体験」なるものをやったりした記憶はありますが、緑内障を模した緑色のメガネや、腕や足につける重りはやっぱりどこか非日常的で、「自分とはあまり関係ないな」と考えていたように思います。こういった体験に比べ、英語のコミュニケーションで今私が感じている困難さは、ものすごく「自分事」です。そう考えると、自分は今、なにか凄いゾーンを体験をしているような気がしてなりません。
思ったことをパラパラと書きなぐったのでまとまりがない文章になってしまいましたが、今後も観察を続けて、何か思う所があればまとめてみたいな、と思います。