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「自分だけは『傷つける側』にはならないと思ってた」残酷さと優しさが炸裂する映画 ズートピア感想

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ズートピア、観た直後から「いい映画だったな〜!!」と思ったのですが、時間が経つにつれて、ますます感情が高まってきたので、感想をまとめてみました!

一言感想

予告編を観た時から「これは『主人公が様々な偏見と戦う』というお話なんだろうな。今のディズニーのことだから、バッチリ仕上げてくるんだろうな」とは確信していたのですが、こちらの想像のその先に突入していました…やられた!
変に身構えなくてもとっても楽しくて感動的な映画なのですが、私にはちょっと(良い意味で)グサリと刺さりすぎてビックリ。本当に文句なしのオススメです!親子で観に行って欲しい〜!!

以降かなりネタバレしております。ご注意下さい。

見終わった直後の感想

実は、映画を観た直後は「ジュディの記者会見」のシーンがどうしても引っかかってしまい、そのもやもやをラストまで引きずっていました。「なぜ肉食獣だけが凶暴化したのか?」という記者たちからの質問に、能動的にも見える態度で「DNAが…」とか「肉食動物はその昔…」なんて返答するジュディに対して、「すぐ隣でニックが見ていることも分かってるのに、なんであんな無神経なこと自分から言っちゃうの?」と、ちょっとイライラしてしまったのです。
でも時間が経つに連れて「あのシーンこそ今回のお話の肝だったのかも」と思うようになりました。

誰でも『傷つける側』になり得る、という事実

f:id:t0rakeina:20160430215532j:plain 物語の前半は「逆境に置かれた女の子がいかにして目的を達成するか」という比較的オーソドックスな展開です。
それ自体ものすんごく良く出来ていて、数々の困難に真っ直ぐ立ち向かい乗り越えるジュディには思い入れずにはいられないし、ジュディのひたむきな姿に、ニックがだんだん心をひらいていく過程にはグッと来るものがあります。でも、思い返せば物語の前半にも、様々な「グレーな要素」は盛り込まれていたのかも…?
例えばジュディの両親は、とても優しく愛情深いけれどちょっと保守的で、娘には「とにかく平穏で安全な人生」を送って欲しいと思っているように見えます。序盤のシーンで出てくる「夢を持つことはもちろん素晴らしいことだよ!願えば叶うと思わなければ…」といった内容のセリフにはちょっとギョっとしました。シーン自体のポップさに対して「味方サイドの人がこんなに白黒はっきりしないことを言うのか」と。そのほかにも、幼い頃のジュディを理不尽に傷つけたのはニックと同じキツネの男の子だったり、「キツネよけスプレー」というアイテムが印象的に使用されていたり、ジュディが「何となくあやしい人がいるな…」と思ったことが2人の出会いのきっかけだったり。(実際悪巧み実行中なので、この勘は正しいのですが)  極めつけが、ジュディが言う「頑張れば象にだってなれるよ!だってここはズートピアだもん」というセリフ。こどもを励ますセリフとは言え、「いや、基本的にはいい事言ってると思うけど、それはちょっと言い過ぎでは…?」という引っかかるセリフになっていると思うのです。確かに、本気で象になろうとしたら、あの世界にはその為の方法が用意されているような気もします。(なんらかの整形手術的な方法とか)でもきっとその方法はそれなりのリスクを伴うから、さらっと「出来るよー!!!」って言うようなことでは…ないの…では…?
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そしてこのようなグレーな要素が少しずつ積み重ねられ、主人公2人の大立ち回りで一旦観客がそれらをすっかり忘れた後で、「お前ら『これで全部解決!』って思ったら大間違いだぞ!」と、見ている観客に溜まりに溜まったものをぶつけてくるのが、「ジュディの記者会見」のシーンなんだと思います。
誰でも、誰かを傷つける可能性がある。その「誰でも」には、当然「逆境で頑張る女の子」も含まれます。「自分だけは『傷つける側』にはならない」という「驕り」が一切無かったと言い切れるか?私は多分、自分のそういう部分に自身が無かったので、ジュディの姿にイライラしてしまったんだと思います。「その時判明している事実を言っただけ」「傷つけるつもりは無かった」というのは、気持ちは分かるけど、やっぱり言い訳なんですよね…。
物語の前半で「確かにうさぎは可愛いけど、見た目で判断されるのはちょっと…」「警察学校ではトップの成績だったのですが…」などの発言していたジュディは、間違いなく「自分も周りの動物と同じように認められたい。リスペクトされたい」と思っていたでしょう。その願いは、歪んだ形で達成されます。結局、他者から認められたいと思っても、自分が真に他者を認められなければ、それはおかしなバランスになってしまう…。本当に残酷な展開だと思います。

意地悪な部分も含めて『優しい』ニックというキャラクター

f:id:t0rakeina:20160430214624j:plain 一方ジュディのひたむきさに心を開いたニックは、物語の後半からその「優しさ」を爆発させます。
ジュディの必死の謝罪に呼応する「ニンジンペンでの意趣返し」のシーンでは、王子様のような一方的な救済ではなく、「ジュディ本人のセリフを引用する」など、ちょっと意地悪でフザけたな要素を盛り込むことで「謝罪した後のジュディが、変に負い目を感じないようにしている」ように見えました。あのシーンが「一方的な許しのシーン」だったら、その後の展開の印象が少し変わっていたかもしれません。お互いにリスペクトを持っているからこその「意地悪」だと、私は思いました。 f:id:t0rakeina:20160430215022j:plain

そして物語は、二人の完全な協力プレイ(詐欺師的な一芝居)で解決します。ここでも、どちらかのパフォーマンスだけでは、事件は解決しなかったでしょう。ジュディがたまたま持ってきたブルーベリーが役立つところなど、かなり計算されているように思います。「お互いを信じていなければ出来ないことをする」男女とか異種族とかそんなことは取っ払って「バディ・ムービーの王道」を正々堂々と観せてくれる、最高に夢のあるシーンだ…!!! f:id:t0rakeina:20160430214814j:plain

 今「こども」と呼ばれる年齢の人たちがこの映画を観て、ズートピアの動物達と同じように自分の中にも潜む「残酷さ」と「優しさ」の両方に気づき、少しでも早く向き合うことができたら、本当に、それより素敵なことは無いんじゃないかな(もちろん大人もしかり)「アメリカに住む人が観るとグッと来るネタが多い」というお話もありますが、日本に住む私たちが観ても、十分普遍的で、突き刺さる物語だったと、私は感じています。!もう一回みたいぞー!!